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最新ニュース
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ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。
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11月24日(日) 常盤学舎で寮祭――OBと現役がなごやかに交流
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公益財団法人常盤同郷会が経営する東京男子学生寮「常盤学舎」で
毎年11月下旬に開催する寮祭で、現役寮生と寮のOBが和やかに交流しました。
常盤学舎の前身は「常盤会寄宿舎」で、1887年(明治20年)12月1日に開設され、
正岡子規をはじめ愛媛出身の多くの学生がここから巣立ちました。
今年は、設立してから126年目の寮祭でした。
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△寮祭参加者の全員で記念撮影
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△設営、運営は寮生が行いジャズバンドも友情出演
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△自家製の「たこ焼き」に懸命に取り組む寮生
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△先輩と歓談する寮の若者
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11月20日(水) 平塚市・添田吉則氏がご来館
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添田吉則さんの庭には、秋山好古が添田家の先祖にあたる添田賢次郎騎兵一等兵の戦死を悼む漢詩を自書した石碑が建てられています。
明治26年12月、日清戦争の最中、遼東半島の付け根付近の二道溝栄口で、雪中を勇猛果敢に戦って戦死した添田賢次郎の父親の求めに応じて、 追悼文と漢詩を自書して遺族に贈ったものです。好古の部下の戦死を悲しむ気持ちが、切々と伝わってくる石碑です。
その碑文の写しを一昨年、添田夫人が生誕地に持参されたので展示してありますが、それを見に 添田家当主・添田吉則氏が来館されました。
吉則氏は、「好古将軍の部下を思う気持ちに感謝していますが、石碑の写しが好古さんの騎馬像と一緒に飾られて 皆様に見ていただいているのは意義深いことです。」と述べられました。
(取材と写真=仙波満夫理事)
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△平塚市添田家の庭に建立されている添田健次郎騎兵一等兵の戦死を悼む好古揮毫の石碑
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△好古騎馬像と添田吉則氏(左端)と案内役の足立あけみ研究員、宇都宮良治常務理事 |
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11月3日(日) 植芝充央(うえしば・みつてる)氏と秋山道場の合気道部員が交歓会
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植芝充央氏は、(公財)合気会合気道本部道場(東京都)の3代目道主・植芝守央(うえしば・もりてる)氏の長男で、 父とともに合気道の普及に全国を訪問しています。
植芝充央氏は3日、愛媛県合気道連盟10周年記念特別講習会の講師で来県したさい、本部の直轄道場であり 父・守央氏も訪れた秋山道場を訪問しました。
秋山道場では、稽古中の合気道部員が充央氏(写真=前列中央)とともに記念撮影をして、合氣道に励むことを誓いました。
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11月14日(木)その2 松山北高校生356人が
「秋山校長時代の北豫中・城山回廊探索」で生誕地へ
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愛媛県立松山北高等学校(野上完治校長=前身は、私立北予中学校)の 2 年生 356 人と引率の先生 18 名が、秋山好古が生家から 6 年間歩いて皆勤した北予中学校への同じ道を辿りながら、校長先生宅であった秋山兄弟生誕地を訪ねました。
一行は、生家や銅像などの史料を元北高等学校の先生・山崎薫理事と先輩の大野紀子、森松隆子、荒井恵子各研究員から、秋山好古の生きかたや生家復元の意義を研修した班(写真上)と、松山北高の先輩・多賀秀夫 常盤同郷会理事の講演を武道場で聴いた班(写真下)とに分かれ、それぞれ詳しく研修しました。
生徒たちは、松山市の中心部にある松山城の周囲を歩いて探訪したことにより、ふだん見慣れた光景の中に、秋山校長時代の北予中学校に関する史跡や、松山を育んだ人々の歴史的建物がたくさん残されている事を体感し、「松山を誇らしく感じました」と地域の伝統の中で社会に貢献していく精神を学んだようでした。
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11月14日(木) 「のぼーる野球」を松山北高生に伝授
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正岡子規が松山にベースボールを伝えたのは1889年(明治22年)7月。河東碧梧桐ら後輩に城北の空き地で球の受け方やルールを教えました。
その城北の空き地の一角に、秋山好古が晩年校長を務めた北予中学校が設立され、その後身が現在の県立松山北高等学校です。
今日は、子規と一緒にベースボールをした秋山眞之と関係が深い公益財団法人 常盤同郷会の宇都宮武美理事が、松山北高等学校のグランドで2年生に、 当時のルールで行う「のぼーる野球」を課外授業の一環として教えました。
子規時代のユニホーム姿で宇都宮理事が審判をして試合を始めましたが、投手は下から投げ、飛球はワンバウンドで捕球すればアウトになるなど、 昔のルールの再現に生徒たちは歓声を上げていました。
ちなみに、現在の野球用語の直球、打者、死球などは子規が翻訳した言葉で、子規自身も雅号に野球(のぼーる)を使ったほどベースボールに のめりこんでいました。(取材と写真=仙波満夫理事)
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△「のぼーる野球」では、審判が打者の横に立つ当時のルールを再現した宇都宮武美理事と、
プレイを楽しむ松山北高校生徒 |
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11月12日(火) 南第2中学校から40人が見学
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松山市立南第2中学校の1年生40人が午後1時、菊池先生と越智先生に引率され、課外学習で生誕地を見学していただきました。
武道場でビデオを見たのち、荒井恵子研究員の案内で、資料を熱心に見ていました。
ある女子生徒は「インターネットで調べても分からなかったことが、生家で実際に見聞したことでよく理解できました。」と述べ、さらにある男子生徒は「初めて来て、秋山兄弟の暮らしぶりを実感し勉強になりました。」と満足の様子でした。
(取材:宇都宮武美理事)
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△真之胸像の前で、荒井恵子研究員の説明を聞く南中学校1年生の生徒さん |
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11月6日(水) 味生小学校6年生120人が、見学のお礼にと校歌を熱唱! |
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松山市立味生(みぶ)小学校は、秋山好古の生涯の親友で革ベルト事業を創業して世界的に成功させた実業家・新田長次郎の生まれた町にあります。 新田長次郎は篤志家で、味生小学校や松山大学などが学校設立の時には、巨額な寄附をして青少年の育英に貢献しました。
そのご縁で味生小学校は、今日案内した山崎薫理事を講師に招いて、秋山好古と新田長次郎との友情などについて事前に学習をしました。
友松恭子先生他5人の先生に引率された生徒たちは、大変熱心に資料おを見つめました。とくに生誕地の北庭に昭和12年(1937年)に建てられた秋山兄弟生家保存会設立記念碑に、 新田長次郎の名前が刻まれているのを見たある生徒は、 「独立心を以て働こうと、強い決心で生き抜いた新田さんや秋山さんに感動しました。」と目を輝かせていました。
見学の最後に、「学習できたお礼に」と、全員が好古騎馬像の前で校歌、「ーー力の山を築こう」を元気よく歌ってくれました。
見学した学校の生徒が校歌を歌ってくれたのは、開館以来初めてのことなので、お迎えしたスタッフも大感激。 新田長次郎と秋山好古もさぞかし喜んだことでしょう。(担当:山崎薫理事、写真:渡部康男理事) |
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△武道場で山崎薫理事の話を聞く味生小学校6年生120人
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△「見学のお礼に」と校歌を熱唱してもらい、好古も嬉しそうでした。 |
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11月9日(土) 松山市味生(みぶ)小学校と「まごころ橋」美談 |
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11月6日に生誕地を見学してくれた味生小学校(松山市別府町=石川敏徳校長)には、 「まごころ橋」の美談があります。
大正13年1月、台風で味生地区を流れる津田川(川幅約4M)に架かる生活や通学に欠かせない橋が 流失しました。それを見た味生小学校の生徒6人が、毎朝6時に集まって、寒い中を手作業で6日間かけて大正13年1月14日、橋を復元しました。 その後6人は、そのことを誰に話すのでもなく通学していましたが、やがて村人に知れ、新聞で全国にも紹介されたので、 文部大臣の表彰を受けたり、修身(道徳教育)の教科書にも掲載されました。
後日、人々はこの橋を「真情橋(まごころ橋)」と呼んで、6人の心がけを讃えました。 味生小学校では、今も「まごころ橋」の美談を語りつぎ、独立心や世の中のために役立つ行いをする心構えを諭しています。 |
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味生小学校生徒が復元した当時の「まごころ橋」。右端は土嚢を積んで通行しやすくした。
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「橋」の復元をして善行を讃えられた味生小学校の6人(当時) |
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11月3日(文化の日) 門前市へ売店を特別出店 |
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秋山兄弟生誕地に隣接する「松山城ロープウエイ商店振興組合」主催の「松山城門前市」が開催され、生誕地からも土産物などの売店を出しました。
生誕地の近くに位置した売店では、「秋山兄弟せんべい」や「兄弟直筆の和手ぬぐい」 「特製バッヂ」などが売れ、
特別割引入場券も配布したので、歩行者天国で終日にぎわう人々に 生誕地を大いに宣伝しました。(写真=仙波満夫(公財) 常盤同郷会理事) |
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△売店で大活躍の秋山兄弟生誕地研究員の足立あけみさん(左)と同荒井恵子さん
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△門前市で賑わうロープウエイ街(松山市大街道3丁目)
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