最新ニュース

ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。
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2月22日(金) 眞之ファンが結婚を前に眞之像と記念撮影

  静岡県沼津市より来館されたJR東日本勤務の鈴木勇希様(24才)は、眞之の大ファン。
今年4月に、結婚式を東京・原宿の東郷神社、披露宴を東郷記念館で行うと、嬉しそうに話されました。 奥様になられる真代さんも秋山兄弟の大ファンとのこと。ご夫妻での再訪をお待ちしております。

  ちなみに、東郷神社の初代宮司・桜井眞清(さくらい  ますみ )は、眞之より4歳年下で、同じ歩行町(かちまち)に育ちました。 眞之に憧れ海軍兵学校に進み(22期)、日露戦争で活躍後、海軍少将で退役。

  昭和8年に出版された 「伝記 秋山眞之」は、 桜井眞清が編集し、眞之についての原典といわれる貴重な資料を掲載しています。

  小説「坂の上の雲」の中に、腕白盛りの眞之が、櫻井眞清らをひきつれ、花火を打ち上げ巡査に追いかけられ、、 母・貞(さだ)にひどく叱られる場面がありますが、眞 之は桜井家に代々伝わる火薬製造の秘伝書を見て、この花火を作ったと 伝えられています。

  眞清は、東郷平八郎元帥の副官でもあった縁で、東郷神社の初代宮司になりました。(研究員・佐伯 健)
 

2月14日(木) 久米中学校生徒さんが研修

  松山市立久米中学校の生徒さんが、午前と午後に分かれて研修に来ていただきました。
生徒さんは、4人から6人のグループ単位で行動し、松山市内の希望する場所を 訪問。ここでは、秋山兄弟のことを知りたい友人同志なので、研修態度は大変積極的 でした。

  午前中のある男子グループ(写真①)は、自分たちで学習をどんどん進め、説明版や資料を 熱心にメモしていました。女子のグループの中に、「自分は、以前、この武道場で合気道を習って いました。」と懐かしそうに思い出を語る生徒さんもいました。(写真②)。(山崎薫)


 

2月11日(月=建国記念日) 横浜の先生グループ12人様

  横浜市内の各小学校の先生方が12人お見えになりました。

  前田隆先生(写真前列右から4人目)は、
「小説『坂の上の雲』を読んで、秋山兄弟生誕地を訪ねるのを楽しみにしていました。

このような質素な家から、素晴らしい人材が生まれたことに感動しました。
また、説明役の女性が、小説にないことをたくさん話してくれて、たいへんよかった。」

と感想を述べられました。(渡部康男)
 

2月9日(土) 梅だより

  秋山兄弟生家内に生けてある梅が咲きました。しかし、秋山邸内の庭の梅は、まだ蕾です。 咲いたら、ぜひご覧になってください。

  生家内の生け花は、松山市の方(匿名希望)がご持参いただきました。 地元の方が、いろんなことにご協力いただくのは、本当に嬉しいです。
 

2月8日(金) JR各社の団体が2組34人様

  今日は、この冬一番の冷え込みで雪がちらつく中、JR各社からの団体が2組、午前と午後に分かれて 34人様が訪問していただきました(写真)。

  みなさん、秋山兄弟のことを熱心に聞かれ、説明する方も大変でした。
北海道から参加された方は、北庭に植えてあるダイダイが、黄色く色づいているのに驚いておられました。 (写真 渡部康男、文 佐伯健)
 

2月4日(月) 好古が居た当時の騎兵隊兵舎を保存

  秋山好古が陸軍少将のとき、千葉県習志野の騎兵第一旅団長に就任したのが日露戦争勃発前年の明治36年
(1903年)4月2日。

  その当時の木造兵舎が、東邦大学付属東邦中高等学校内の敷地内にあり、習志野市内に残る貴重な建物として永く保存することになりました。

(写真①)
  日露の戦雲ただならぬ中、騎兵隊の兵士が猛訓練に励んだ様子が偲ばれますが、現在は、同校の柔道部と空手部員の稽古場に使われています。

(写真②)
  この知らせは、同校教諭で習志野市文化財審議会会長の山岸良二氏からいただきました。

  なお、山岸教諭の著書「秋山好古と習志野」は、秋山兄弟生誕地で販売中です。(仙波満夫秋山兄弟生誕地研究員)




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