最新ニュース

ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。
小さい画像をクリック すると大きく表示されます。

4月24日(水)その2 常盤学舎便り―4月寮生会

  今年度の新入寮生4人の歓迎会と研修会をかねて、4月恒例の寮生会が午後8時から開催されました。

 増田忠彦理事舎監の挨拶、新入寮生の自己紹介、元舎監・山田勝彦理事の話し後、
宇都宮良治常務理事が
「常盤学舎の歴史と意義及び創設当時の関係者・久松定謨、3代目監督・秋山好古、 弟・秋山真之、第2回入寮生・正岡子規」について講話をしました。

  ついで、舎監夫妻手づくりの寿司や郷土の海産物を味わいながら懇談。 新入寮生の愉快なかくし芸大会などで、遅くまで賑わいました。

△挨拶する幹部たち 宇都宮良治常務理事(左)より、
山田勝彦理事(元舎監)、増田忠彦理事・舎監

△講話の資料を見ながら研修する寮生


△「次の日本を背負うのは、君たちだ。」と激励される寮生

△かくし芸大会で新入寮生のギターを聞く寮の先輩たち
 

4月24日(水) お客様のノートより

  生家の入り口に置いてある「お客様の自由書き込みノート」より 2頁分をおとどけします。
 

4月23日(火) 秋山好古の20代の珍しい写真

  秋山兄弟生誕地の生家入口に、好古の新しい写真(下)を23日から展示しました。 これは、宮内庁三の丸尚蔵館に保存されていた好古が陸軍騎兵少尉(20代)の 珍しい写真です。

  この写真は、明治12年、明治天皇のご下命により全国約4300人の写真を撮影したさい、 好古も対象になり宮内庁に保管されていたものです。

  今回、当時の写真や資料が公開されたとき、好古嫡孫・秋山哲兒様が見られて 当方にお知らせいただいたことから、宮内庁の許可をいただいてその複製を展示しました。
 

4月23日(火)その2 好古の新しい直筆を展示

  好古晩年の直筆が、生家の座敷に展示されました(写真)。 書は、「一以貫之」(いちをもって これをつらぬく)と詠みます。

  好古の長男・信好の夫人・君代さんのご実家(栃木県・岩崎家)から寄贈していただきました。 君代さんの子供(好古の嫡孫)秋山哲兒様のご厚意で、生家の座敷の上に飾ることができ、 「好古晩年の雄渾な書」が人柄をしのばせます。

  出典は論語で、孔子が弟子の質問に対し「自分は 一つのこと(道徳) をもって人生を貫いてきた。」 と答えたことに由来します。  好古が日頃から「男子は生涯に一つのことを成せば足る。」と言っていたことと重なります。
 

4月8日(月) 日露戦争当時の砲台跡などを研修旅行

  秋山兄弟生誕地研究員とスタッフ17人が4月8日、日露戦争当時に瀬戸内海に侵入するロシア艦隊を撃つために今治市小島(おじま)に作られた砲台の跡地を研修しました。

ご案内いただいたのは、今治市観光協会の菅正憲さん。波止浜港から船で10分ほどで小島につくと、船着き場には、松山市が寄贈した28センチ榴弾砲の模型が据えられていました。 これは、NHKがスペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケで使った本格的なものです。

  桜や椿の咲き残る島の急な山道を登っていくと、兵舎、発電所、砲台設置場所、弾薬庫、敵船監視所などの煉瓦やコンクリート造りの構築物が当時の姿そのままに残っていました。 日本政府は、この砲台の秘密保持のために、地図から島を消したそうです。

  しかし、せっかく据え付けられた28センチ榴弾砲2門は、旅順口の203高地攻略のために運び出され、砲台が役立つ機会はありませんでした。

研究員の女性は、
「煉瓦を手でさわると、タイムスリップして、当時の軍人がここにいるようだし、島の頂上に登り瀬戸内海を360度見渡せば、見張りの兵士と一緒に眺めているようです。 日露戦争の雰囲気が、実感できる貴重な史跡です。  また、小島から瀬戸大橋の眺めがすばらしく、観光名所でもありますね。」 と語りました。

  そのあと、菅さんの解説で今治城を見学し、好古揮毫の石碑(発見者は菅さん)を観て、好天に恵まれた研修旅行を終えました。(写真=仙波満夫・秋山兄弟生誕地研究員)

△小島の全体図


△28センチ榴弾砲模型の前で記念撮影


△砲台は海から大砲が見えないようにな構造


△今治城天守閣と築城者・藤堂高虎の銅像前で


△村の人が募金して建立した好古揮毫の石碑前。石碑の意味=皆の心が和やかであれば教育が実りあるものになる。
 

4月5日(金) 好古の石碑を発見―愛媛県大洲市長浜町「三島神社」境内

  秋山好古揮毫の石碑を全国各地で調査している仙波満夫さん(松山市=秋山兄弟生誕地研究員)が、 51基目となる好古揮毫の石碑を発見しました。

  建立されている場所は、愛媛県大洲市長浜町戎川甲245番地1三嶋神社(現在は三島神社)の境内で、 標高約800メートルの急な山道を登ったところです。伊予市の知人からの情報を聞いて、さっそく重い機材 を担いで登り、撮影しました。

  仙波さんは、「石碑を撮影中、ご近所に住む2人の女性に偶然出会い説明を伺いましたが、お2人は 秋山兄弟生誕地に行ったとのことで、秋山ファンがここにもおられるのかと、嬉しくなった。」 と述べ、さらに、「好古の部下で、好古の北予中学校長の後任になった烏谷陸軍中将が揮毫した『しめいし』も 同じ境内にあり、三嶋神社を大切にしていた二人の思いが感じれれました。」と、感慨深かげに語っていました。

三島神社境内の秋山好古揮毫「三嶋神社」石碑と、
説明するご近所の女性

同石碑側面に「陸軍大将秋山好古書」


同石碑裏面に「昭和三年御大典記念建之」
(御大典=昭和天皇の即位記念)

三島神社境内の好古部下・烏谷陸軍中将が
揮毫した「しめいし」
 

4月2日(火) 常盤学舎からリヤカーで引っ越し

  常盤同郷会が経営する東京・男子学生寮「常盤学舎」(東久留米市)は、春になると新入寮生や就職、留学などで退寮する学生で混雑し、 1年でもっとも忙しい日が続きます。

  宮内受之君(写真=自由学園大学=伊予郡松前町出身)も、大学の方針で国内留学を1年するため3月末に退寮。 自分の荷物は、なんとリヤカーに積んで自転車でエッチオッチラと引っ張り、新しい下宿まで11回も往復しました。

  リヤカーとは、人又は自転車が、リヤ(後ろ)に荷物搭載車(カー)を引っ張る運送手段です。 明治、大正、昭和と、ながく使われた「苦しい運搬方法」ですが、今は、めったに見ることがありません。

  このユニークな引っ越し方法に感動した寮生有志が、「宮内のリヤカーで引っ越しするド根性を讃える鍋会」を開催して前途を祝しました。

  1年後に復学したら寮に戻るとのことですが、まさか嫁さんをリヤカーに積んでこないでしょうね。(寮は女人禁制ですぞ)




2013年  1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
 

当ホームページの記事、画像の無断転載を禁止します。
Copyright© 2010 公益財団法人 常盤同郷会. All rights reserved