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最新ニュース
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ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。
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6月29日(土) 広瀬武夫と秋山眞之の友情ー109年後に再び |
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大分県竹田市から、広瀬神社崇敬会と広瀬武夫顕彰会の会員のうち、10人が秋山兄弟生誕地を訪問されました。
広瀬武夫(竹田市)と秋山眞之(松山市)は、ともに慶應4年(1868年)生まれであることから、
海軍兵学校在学中からとくに親しくなりました。
明治30年に広瀬武夫がロシアに、秋山眞之がアメリカに留学することが決まってから、
二人は同じ下宿に住まい同じ部署で研修しました。 また、眞之が母の貞と借家で同居した時は、広瀬はよく遊びに行き、
それを眞之の母が歓迎して
「松山すし」や「秋山家の雑煮」をふるまいました。大食漢の武夫は、餅を20個も食べた逸話があります。
明治37年(1904年)、日露戦争が勃発。
日本海軍は、旅順口の狭い入口に船を沈めて、ロシアの軍艦が出られないようにする非常に危険な「旅順口閉塞作戦」を決行しました。
広瀬は、志願して第1回目の作戦で「報国丸」を指揮して出撃。入り口の最も近い場所に船を自沈させて無事帰還しました。
第2回目の作戦は3月27日に決行。広瀬は再び志願して「福井丸」の指揮官で出撃。船を沈めて帰えろうとしたが、
部下の杉野兵曹長がいないので船内をくまなく3度も探したが見つからず、やむを得ずボートに乗り移った瞬間、ロシア軍の直撃弾を
頭部に受けて即死。
日本海軍は、広瀬武夫の武勇や部下を思う心と壮烈な戦死をたたえ、軍神第1号としてあがめ、中佐に特進させました。
眞之は、武夫が第2回目に出陣する直前の3月24日、「福井丸」に武夫を訪ね無事帰還を願いましたが、最後の別れとなりました。
その109年後、軍神広瀬武夫と竹田市出身の戦死者を合祀する広瀬武夫神社崇敬会と広瀬武夫顕彰会の方々が、
秋山眞之の生家を訪ねていただいたのです。まさに、二人の友情が、再び合いまみえたような瞬間でした。
ご一行はその後、松山市内梅津寺(ばいしんじ)公園にある好古像と眞之像を訪ね、眞之像の横にある広瀬神社から贈られた
「旅順口閉塞作戦の船に積んだ石」(護国の石)を触って感慨もあらたにされました。
翌日30日は、江田島の海上自衛隊幹部学校教育参考館を訪ね、広瀬武夫の遺品をご覧になりました。 |
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△広瀬武夫と秋山眞之の友情を思うご一行
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△秋山兄弟生誕地の歓迎スタッフと記念撮影
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△旅順口閉塞作戦の船に積まれていた石(護国の石)で、広瀬武夫神社境内に飾ってある中の一つが贈られた石に、皆さんが触りました。
護国の石は、梅津寺公園内・秋山眞之像の横に安置されています。
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6月22日(土) お客様からのお便り
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秋山兄弟生誕地へは全国からたくさんお客様がお見えになります。
ボランティアで説明をしている研究員に、お礼状が多く寄せられ
「こんなに嬉しいことはありません。」と一同喜んでいま
す。
6月22日(土)に岐阜県から来館された方から、秋山兄弟生誕地の研究員で
松山城でも案内をしている仙波満夫氏にお礼状がきましたのでご紹介します。 |
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6月12日(水) 仲佐秀雄さんが千葉市からご来館 |
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秋山好古が、千葉県習志野騎兵旅団長当時に建っていた建物の保存活動を、 山岸良二東邦中高等学校教諭
(「秋山好古と習志野」の著者)らとしておられる 仲佐秀雄さんが6月8日、9日の2日間、秋山兄弟生誕地を訪問されました。
仲佐さんは、歴史的建造物の保存活動に熱心で、各地で活躍されておられます。 それだけに、秋山兄弟生誕地への関心も高く2日間、熱心に見学されました。 (写真と文:仙波満夫秋山兄弟生誕地研究員)
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△「早く来たいと思っていました。」と好古騎馬像の前で仲佐秀雄さん
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△千葉県習志野市東邦大学敷地内(元習志野騎兵旅団跡地)に残る明治33年建造の木造建物。
秋山好古が習志野騎兵旅団長当時(明治36年~39年)に使われた現存する唯一のもの。
現在は、東邦大学柔道部の稽古場になっている。 |
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6月11日(火) 早朝野球で2勝!東京学生寮・常盤学舎チーム |
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6月に入り、寮生活に馴染んだ新人が、早朝野球でも大活躍をしています。
今年の春季リーグ戦で初の2勝2敗1分けの好成績を上げ、舎監夫妻心づくしの食事会は、 大いに盛り上がりました。
朝、5時に起きて野球をするのは大変だし、1時間目に授業がある寮生は出場できないので、 野球部監督はメンバー集めに苦労の連続。
それでも試合に勝つと、疲れも吹き飛び、みんなで青春を謳歌しています。(理事舎監・増田忠彦) |
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6月11日(火)弟眞之への深い愛情ーー秋山好古 |
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産経新聞の「教育」欄で、弟眞之の葬儀で、弟への深い愛情を表す挨拶をした好古が紹介されています。
このシーンは、秋山兄弟生誕地のビデオでも上映されていますが、胸に熱いものを感じる方も多いようです。
好古は、日露戦争で多くの戦死者を出し、遺族が悲しんでいる中、公務中の自分がおめおめと帰ることが できない、という強い心があったのでしょう。それだけに、葬儀で語った弟への最大級の賛辞は、参列者の 心をうったのです。
「無言の中に、人を感化する」。今の世の中では難しいことかもしれないが、大人の子供に対する教育の 原点がそこにあるように思えます。(この項は終り)
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△産経新聞平成25年6月8日号第13面「教育」秋山好古(下)より転載
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6月10日(月)教育者としての秋山好古
ーーー産経新聞「教育」欄連載第2回目より |
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好古は、陸軍大将から元帥に推薦されたのを断って、なぜ一人で松山に帰り、 私立中学校の校長を死ぬ年まで務めたのか。その一つの答えが、本欄に書かれています。
晩年の好古が、次代の日本を背負う青少年の教育に最後の力を注ぎながら、 その一方で、戦争で自分の部下を多く戦死させた責任感から質素に暮らした 理由が書かれています。
大人が、自らの信念を貫いて生きてゆく姿こそが、若い者に対する「眞の教育ではないか」、 とこの記事は問いかけているようです。
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△産経新聞 平成25年6月1日(土)13面「教育」秋山好古(中)より転載
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6月8日(土)まで産経新聞が「教育欄」に秋山好古を3回連載 |
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子供の教育問題は、日本人にとって大切な課題ですが、主に子供や教育施設をテーマにした教育論が多い。 そんな風潮の中、産経新聞が 「大人の生き様は、子供に範をたれているのか」 と問いかけるような連載記事を、同紙の「教育」欄に5月25日(上)6月1日(中)6月8日(下)と3回連載しました。
連載記事の主人公は、3回とも秋山好古。 青少年育英を事業目的とし、秋山兄弟生誕地での青少年対象の研修や、東京学生寮「常盤学舎」を経営する 我が 公益財団法人常盤同郷会にとって、見逃せない記事なので、3回に分けて転載いたします。
「産経新聞に出ていますよ。」とご連絡をいただいたのが好古嫡孫・秋山哲兒(あきやま・てつじ)」さん。 深いご縁を感じました。 |
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△産経新聞平成25年5月25日(土)13面「教育」の記事 |
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6月5日(水) 東温市立重信中学校生徒が校外学習で見学 |
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松山市と隣接する東温市(とおおんし)の重信(しげのぶ)中学校2年生が、校外学習で 秋山兄弟生誕地を見学してくれました。
朝早く起きて、伊予鉄道郊外電車で松山市につき、少人数で班をつくり、生徒が希望 する場所を見学しました。
秋山兄弟生誕地へは、6班が来館しましたが、事前の研修や質問することが整理されており、 秋山兄弟に関するまじめな学習態度に好感が持てました。
秋山邸の北庭には、秋山兄弟をたたえる大きな記念碑があり、建立者は好古と親交があった 伊予鉄道(株)元社長の井上要翁。伊予鉄道で往復し、記念碑の文を一生懸命読んでくれた生徒に、「よう、来てくれました。」と秋山兄弟とともに喜んでいるようでした。(山崎薫・秋山兄弟生誕地研究員) |
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△秋山兄弟生誕地保存の記念碑の前で説明をきく重信中学校の生徒
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6月3日(月) 西条市 伊曾乃神社で 秋山好古扁額(へんがく)を発見! |
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愛媛県西条市中野の広大な森に囲まれた伊曾乃神社は、県内有数の大社で、西条まつり当日は、多くの「だんじ
り」で賑わうことで有名です。
その迎賓館に、秋山好古書の扁額があるとうかがい、参詣のあと、井上千賀司宮司様、堀川修巧禰宜様をお訪ねして見せていただきました。
扁額は好古らしい、おおらかでのびやかな書体で、「静以安人」(せいをもって人をやすんじる)―静かさは人の心を安らかにする―と書かれ、
北豫中学校長在任中の揮毫と思われます。唐代の詩人、
元結(げん けつ )
作の漢詩にある言葉で、好古の漢詩への造詣の深さがわかります。
伊曾乃神社境内には、樹齢何百年の大樹が何本もあり、静かな佇まいが人の心を安らかにするので、好古はその気持ちを表したのかと思い、
また、静かに人に接すれば、相手の心を和らげる、という意味かとも考えました。
扁額は境内の迎賓館に掲げられていますが、現在は非公開となっています。(文と写真=佐伯健・秋山兄弟生誕地研究員) |
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△愛媛県西条市 伊曾乃神社ー広大な森に囲まれた境内。
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△境内には、樹齢何百年の大樹が多数あり静かな佇まいで、西条まつり当日の賑わいと対照的でした。
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△伊曽乃神社宝物館内で特別に秋山好古書扁額を見せていただきました。
左から3人目・井上千賀司伊曾乃神社宮司様、右端・堀川修巧伊曾乃神社禰宜様。
他の3人は参詣した「秋山兄弟生誕地」関係者(左から佐伯健、宇都宮良治、山崎薫)
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