ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。
小さい画像をクリック すると大きく表示されます。

 

7月20日(日) 常盤学舎通信―内装の修繕工事を開始

  愛媛出身の男子学生が東京で学ぶための学生寮「常盤学舎」を経営する公益財団法人 常盤同郷会は 7月15日から、室内、水回りを中心に大規模修繕工事にとりかかりました。 修繕工事は寮生の不便を少なくするため、夏休みを中心に行いますが、9月末に完成の予定です。

 常盤学舎の建物は、昨年の外壁修繕と今年の内装工事とあわせて総工費5000万円で大規模改修を行いますが、 費用は内部資金と寮OBや一般からの募金等で賄われます。

 青少年の育英を目的とする当財団は、新装なった寮舎で寮生がより快適な生活と勉強ができることを願っています。 (取材:理事舎監・増田忠彦)


△室内や廊下の改修工事が進む常盤学舎の内部
 

7月12日(土) 秋山眞之の後輩ー松山東高校の校内ボート大会

  台風で1日延期になった7月11日、松山市梅津寺(ばいしんじ)海岸で、松山東高が前身の松山中学いらいの伝統行事 「松山東高校内ボートレース大会」を開催しました。

 各学年の男女が4人でボートを漕ぎ、岸部の応援団の熱い声援をうけて往復600mのコースを競いました。(写真)

  同校の先輩によると、松山東高校になってからは40年前に復活したようで、ボートレースは毎年名物競技となり、今日も父兄にまじって大勢の人が 見物していました。テレビ局も撮影していました。

  会場の梅津寺海岸の反対側の丘には、兄好古と弟眞之の銅像が建立されており、秋山兄弟が後輩たちのボートレースを見下ろしているようでした。

  とくに眞之は、海軍兵学校生徒のとき、ボート(短艇)競技では、毎回優秀な成績をあげていたので、後輩たちの漕ぎぶりを楽しんでいたことでしょう。 (常務理事 宇都宮良治)

 
 

7月11日(金) 秋山好古揮毫の忠魂碑が新潟市民文化遺産に登録

  新潟市が制定した「新潟市民文化遺産」に、秋山好古揮毫の忠魂碑が登録されました。

 「忠魂碑」は、新潟市江南区沢梅の日枝神社境内にあり、日露戦争で戦死した3人の沢梅出身者の慰霊のために
大正2年に建立され、当時、新潟第13師団長であった秋山好古中将が頼まれて揮毫して完成しました。

  高さ2.7メートル、横幅1.5メートルの石碑の前では、建立以来、毎年慰霊祭を盛大に続け、大切に保存されてきました。 慰霊と石碑の保存に永年、熱心に取り組んできた同地区の神田勝郎さん(77)は「日頃の地道な取り組みが認められてうれしい。

  この機会に、愛媛との交流が活発になるのを希望します」と感激の面持ちでした。
 
 なお、神田さんはたびたび秋山兄弟生誕地を訪問され、新潟市で文化活動を活発されています。 (秋山兄弟生誕地研究員:仙波満夫)


△新潟市民文化遺産の一つ選ばれた好古揮毫の忠魂碑と神田勝郎さん(左)
(新潟日報 平成26年7月5日号第13面より)
 

7月11日(金) 常盤学舎通信ーその3-東京OB会2014

  常盤学舎で学生時代を過ごし現在、東京近辺に住んでいる人たちの会「常盤学舎東京OB会」 が7月6日、東京原宿・東郷神社内の東郷会館「水交クラブ」で開催され、現役寮生とOBの20人が懇親の輪を広げました。

  東京の歓楽街・原宿から一歩入った閑静な会場で、OBが差し入れたワインを呑みながら楽しいひと時でした。(写真) 「常盤学舎東京OB会」は年に一度会合を持ち、今回の常盤学舎第2次大規模改修費の募金にも大変協力していただいています。 (舎監:増田忠彦理事)

 
 

7月10日(木) 常盤学舎通信ーその2「農園のなすび」

  前号でお知らせした常盤学舎の庭の農園で、「なすび」が順調に育っています。

 いちいちお知らせするのも大袈裟ですが、寮生が精魂込めて作っていますので 作物の出来具合の続きをお楽しみください。


  △故郷の 畑思わる なすびかな  
△夕立の 露光らせる なすびかな
 

7月10日(木) 常盤学舎通信ー寮生会

  (公財) 常盤同郷会が経営する東京・男子学生寮「常盤学舎」では、明治20年開設以来の伝統ある毎月の寮生会を開催し、 寮生間の親睦、行事の打合せ等に加えて、研修発表を行っています。(写真上)

  今月の講師は、寮長・渡部運也(かずや)君で、「スペインを旅する」と題して、撮影してきた写真をもとに興味深い体験談を発表しました。(写真下)


 

7月7日(月) 「お囲い池」と秋山眞之

  旧松山藩の水練場は、田んぼの中にある「お囲い池」と呼ばれる大きな池であり、武士が甲冑を着ても泳げるような泳法(松山藩神伝流)で訓練をしていました。

  明治維新後はその泳法が海軍兵学校の水練教範に取り入れられ、明治37年から数年間、松山から竹田博文や村上正義などが教えにいっています。

  眞之が海軍兵学校生徒のとき、夏季休暇で帰郷中、「お囲い池」で陸軍の兵隊が褌を付けずに裸で泳いでいたのを「水練場を汚す規則違反だ。」注意し、 言うことを聞かない兵隊を殴り飛ばして池に落し、大騒ぎになった逸話があります。

  高浜虚子は明治38年7月1日発行の「ホトトギス」の中で「お囲い池の傍での眞之の言動(略)を見て、後年日本を救った名参謀の若き日」を偲んでいます。

  「お囲い池」は昭和37年に埋め立てられ、現在は「松山市立青少年センター(松山市築山町)」になっています。

 しかし、泳法・神伝流は平成 14 年、愛媛県無形文化財に指定され平成26年 5 月、公益財団法人日本水泳連盟より13 番目の日本泳法として正式に認定されました。 (資料提供:佐伯 健理事)


△「お囲い池」のあった場所

△賑やかだった頃の「お囲い池」
 
 

7月7日(月) 「東郷会」とリンク開始のお知らせ

  「秋山兄弟生誕地」と「東郷会」とが互いに了解のもとでリンクしました。 「東郷会」は東郷神社を崇敬する会ですが、秋山眞之が日露戦争で 連合艦隊司令長官東郷平八郎大将(当時)のもとで作戦参謀として活躍したことは有名です。

  眞之の逸話は数多く、強い印象を与えがちですが、眞之夫人の季(すえ)さんは子供たちに、 「東郷大将が偉かったから父上(眞之)があったのですよ。」 と諭していたとの証言があります。

  「東郷会」のホームページは記事が多く、参考になることが多いのでぜひご覧ください。 なお、そのほか多くのリンク先がありますから、「リンク」をクリックして楽しんでください。  (常務理事 宇都宮良治)


△日露戦争の日本海海戦で連合艦隊司令長官東郷平八郎大将のもとで作戦参謀を務めた秋山眞之中佐。
(1905年5月27日、ロシア・バルチック艦隊を迎え撃つ直前の旗艦「三笠」艦上の絵。
中央で刀を持つのが東郷大将、その右後ろで書類を見ているのが秋山眞之)
 

7月3日(木) 南海放送ラジオが取材

  南海放送ラジオ番組「愛媛・福岡 旅くらべ」の収録に、小林真三氏、タレントの篠塚さゆりさんが6月20日、来館されました。

 この番組は愛媛・福岡の歴史的観光地やグルメ店を、タレントと局アナが巡り両県の魅力を紹介する番組です。

 愛媛では、秋山兄弟生誕地が紹介され、河端研究員が取材を受け、 6 月 28 日 ( 土 )13:00から 南海放送ラジオで放送 されました。 (記録:佐伯健理事)


南海放送ラジオの取材を受ける秋山兄弟生誕地・河端久美子研究員


写真左からタレントの篠塚さゆりさん、河端久美子研究員、小林真三氏
 

7月3日(木) 秋山兄弟の父・秋山久敬(ひさたか)は自宅で子供30人を教えていた!

  明治維新前後の松山で、私塾や小学校、中学校があった場所を訪ねる「子規・眞之の学び舎をめぐる」ツアーが6月29日、松山市立「坂の上の雲」ミュージアム」の主催で開催され、市民ら40人が参加しました。

  一行はまず、秋山兄弟の生家をおとずれ、秋山兄弟の父・久敬が明治維新前後に現在の生家で、子供30人に手習いや漢文を教えていたことを実感しました。 当時の私塾があった場所に家があるのは、秋山兄弟生誕地だけです。

 そのため、その雰囲気を感じてもらおうと、当日は特別に生家の座敷が解放され、 宇都宮良治常務理事と山崎薫理事から、久敬の手紙や久敬が編集した松山藩の歴史書「松山叢談(まつやまそうだん)」の解説を聞きました。

  このあと、眞之が毎朝5時から漢学を学んだ「謙塾(けんじゅく)・主宰=近藤元脩(もとなが)」があった場所や、子規が初めて通った小学校・末広小学校跡をたずねました。


△秋山兄弟生誕地内に復元された生家の座敷で、山崎薫理事(中央)から
秋山久敬が編纂した「松山叢談」の解説を聞くツアー参加者


△秋山眞之が小学校時代、朝5時から勉強していた「謙塾」の跡地付近「大街道・マナベスポーツ」前で説明を聞き、「生家と近かったのですね」と驚く


△秋山兄弟生誕地で日頃お客様に説明している人たちもツアーに参加して研修しました
 



2014年  1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
最新ニュース   2013年

当ホームページの記事、画像の無断転載を禁止します。
Copyright© 2010 公益財団法人 常盤同郷会. All rights reserved