ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。
小さい画像をクリック すると大きく表示されます。

 

10月24日(土) 「坂の上の雲のまちを歩こう」で2000人超のお客様

  素晴らしい秋晴れのもと松山市、伊予銀行、南海放送が主催した「坂の上の雲のまちを歩こう」が開催され、 2,000人を超える参加者が、主催者が指定した小説「坂の上の雲」ゆかりの場所を訪ねて、城山の周囲8㎞を歩きました。

  午前10時に城山公園を出発した一行は、11時頃より続々と秋山兄弟生誕地に到着。 家族連れや友人グループの人また人で大賑わいとなりました。

  来場した人々は、生誕地内に掲示されたクイズを額に汗を浮かべながら回答し、 次の訪問地「萬翠荘」(好古と親交のあった旧松山藩主・久松定謨が建てたフランス風建物)に向けて元気に出発して行きました。  (取材 佐伯 健理事)


△「坂の上の雲ゆかりの場所」をめぐりながら秋山兄弟生誕地に入る参加者


△眞之胸像の前に建てられたクイズ板を見て回答する人たち。
   指定された場所のクイズを全部正解することが参加者の条件。


    △「わしの少年時代に両親に言った言葉がクイズになっとるぞ」と好古。
      (好古が9歳のとき両親に「私が働いてお豆腐程の金を作るから、眞之を寺へやらんでおくれ」
      と哀願したことからクイズが作られ、正解は「豆腐」でした)


△好古騎馬像を背景に写真を撮る人が多く、混雑した生誕地の入り口
 

10月16日(金) 最後の海兵、77期生の皆様がご来場

 昭和20年入校の海軍兵学校77期生の皆様が、ご家族と共に来場されました。海軍兵学校は明治3年の海軍兵学寮入校を1期生として、昭和20年入校の77期生、78期生(針尾分校)を最後にその幕を閉じました。

 今回来場された77期の皆様は、入校4か月で終戦を迎えた最後の江田島兵学校生徒で、全国各地から集まって来られました。

 17期生の大先輩・秋山真之生誕の地を感慨深く見学されましたが、戦後の高度成長を支えて活躍した後輩達の訪問を、真之は喜んだと思います。(取材 佐伯 健理事 )


△秋山真之像と海軍兵学校77期の皆様


△生家の中でビデオを鑑賞


△北庭で真之の展示物を説明聞かれました
 

10月20日(火) 常盤学舎通信ー鎌倉・江の島研修旅行

  愛媛県出身の男子学生寮「常盤学舎」では、毎年秋に行う研修旅行を10月11日、「鎌倉の歴史探訪と江の島見学」で開催しました。

 湘南地方は通称「江の鎌めぐり」といわれる日本有数の観光地。特に鎌倉は歴史の宝庫です。

 そこで常盤学舎では、貸し切りバスで朝7時に出発。増田舎監夫妻が作ってくれた握り飯でバスの中で朝食。 江の島水族館を楽しみ、パスタ食堂で昼食。そのあとは混雑で団体行動ができないため自由行動とし、江の島、鎌倉を各グループで見学しました。

  この日は連休の最中で各地で渋滞。帰着が20時になりましたが、寮が準備した夜食と缶ビールで元気を取り戻し、寮生会も開いてで楽しく休日を終えました。 (舎監 増田忠彦)


△イルカのジャンプに拍手。外は風が強かった(江の島水族館)


△ペンギンにご挨拶(江の島水族館)


△江の島めぐりも、連休で混雑


△夜おそく帰ったが夜食と缶ビールで盛会となった寮生会
 

10月18日(日) 元財務大臣・尾見幸次さんご一行

  第1次安倍内閣の財務大臣・元衆議院議員・尾身幸次さんが、松山市での講演の前に生誕地を訪問されました。

  尾見さんは小説「坂の上の雲」の愛読者なので、展示史料の「眞之の海軍大学の教科書」や新居浜工業の生徒が作った 「三笠の模型」などを見学され「秋山兄弟の生誕地に来て、好古や眞之の生きざまを体感できた。

  日本海海戦から110周年ですかーー。」と感慨深そうでした。(写真 山崎薫理事)


△真之像を囲んだ元財務大臣・尾身幸次さん(右)ご一行 
 

10月13日(火)大発見 ! 好古揮毫の直筆原稿が久万町の神社にあった

  愛媛県上浮穴郡久万高原町「三社神社」(創建=1590年)の境内にある注連石(しめいし)には、秋山好古が揮毫した字が刻まれています。

  秋山兄弟生誕地の研究員で久万高原町出身の大野紀子さんが9月下旬、三社神社の宮司・小野哲也さんから「好古揮毫の直筆原稿」が見つかったと聞き、 同僚の仙波満夫氏に連絡しました。

  仙波満夫氏は、秋山兄弟生誕地の研究員で好古揮毫の石碑を永年探し続け、全国から50基を発見した大ベテラン。 さっそく三社神社を訪ね、注連石に刻まれた字体「御大典記念 陸軍大将秋山好古謹書」と大書された直筆を見たとたん、思わず「すごい!」と叫んだという。 (「御大典」とは、昭和天皇が1928年、天皇の位についた祝典のこと。)

  仙波さんは「好古が神社の施設に揮毫した字体の直筆は大変めずらしい。小野宮司さんの祖父が好古に揮毫を依頼されたと聞きましたが、 よくぞ大切に保存していただいた。好古がこの字を書いた姿が目に浮かぶようで感慨深い。」と述べていました。(撮影:仙波満夫氏) 


△三社神社境内に建つ注連石の右側に好古が揮毫した「御大典記念」の文字が見える


△発見された好古揮毫文字の直筆原稿(この写真の 無断使用は 禁じられています)
 

10月7日(水) 子供神輿で賑わった秋祭り

  今日は松山地方の秋祭り。
雲一つない好天のもと、大街道三丁目と一番町・歩行町合同子供神輿が、 神主さんを先頭に秋山邸に巡行して来ました。

  生家の中庭に入った2台の子供神輿は「わっしょい、わっしょい」と上下して大賑わい。
子供たちには「秋山兄弟せんべい」がふるまわれ、喜ばれました。

 大人神輿は「北小唐人大神輿」が生誕地の前をとおりましたが、気温が高いのでみんな汗だくでした。

  道後温泉駅前広場では、早朝から7千人の見物が見守る中、八体の神輿が2回づつ鉢合わせをしましたが、怪我人が多数出たとのことでした。 (取材・写真=仙波満夫秋山兄弟生誕地研究員)


△祭の前日から「提灯」をかかげ「しめ縄」をはって、神輿をお迎えの準備


△「お祓い」を受ける子供神輿の世話人・藤島寛昌理事(左)と橘荘二理事


△子供神輿を元気よく担いだ「四丁連合子供会」のみなさん


△子供神輿の記念撮影
 

10月5日(月) 研修旅行で「陸奥記念館」などを見学

  秋山兄弟生誕地で来客に説明をしている研究員とその家族の研修旅行が10月5日、山口県周防大島町伊保田の「陸奥記念館」見学を中心に、週防大島巡りをしました。

  周防大島は松山の三津浜港からフェリーで2時間、瀬戸内海で3番目に大きい島。幕末には松山藩が第二次長州征伐で攻め込んだ島でもあります。

  昭和16年(1941年)に始まった太平洋戦争の最中、当時世界最大級だった日本海軍の戦艦「陸奥」が、周防大島伊保田町から約3キロ先にある柱島沖に停泊中、 昭和18年(1943年)6月8日12時10分、突然大爆発し1474人の乗組員は海中に没しました。 その中にはこの日、実習で乗艦した、まだ10代の予科練甲種飛11期生138人も。

  救助されたのはわずか353人(うち予科練生124人)。海軍はこれを極秘にし、生存者はすべて南方へ送られて戦死。国民が知ったのは戦後でした。

  昭和45年、引き揚げを開始し8年後、42メートルの海底から遺骨や遺品とともに艦体の75%が引き上げられ、 その中で陸奥記念艦が昭和47年(1972年)伊保田町に建設されました。

  研究員一行は、遺品や引き上げられた艦体の一部を慰霊の気持ちで感慨深く見学していました。(写真:仙波満夫研究員)


△陸奥記念館前で記念撮影(錨は陸奥のもの)


△遺品が並ぶ館内を見学する研究員


△戦前の「陸奥」乗組員全員の記念撮影


△戦艦「陸奥」の模型



2015年  1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月
最新ニュース 2013年2014年

当ホームページの記事、画像の無断転載を禁止します。
Copyright© 2010 公益財団法人 常盤同郷会. All rights reserved