ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。
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11月26日(木) 道後小学校6年生が130人

  急に寒くなり雨模様の中、道後小学校(松山市)6年生130人が生誕地に来ていただきました。
ご案内は、65人単位で2班作り、武道場でビデオと説明を聞く班と、生家や資料を見る班とに分けて行い、 30分単位で交代して見学しました。

  生徒たちは整然と行動し、熱心に説明を聞いてくれましたが、、いろんな質問がでてにぎやかな見学会となりました。

△秋山兄弟生誕地の見学を終えた道後小学校6年生のみなさん。
  (児童のプライバシー保護のため、顔は判別できないように加工しました)
 

11月23日(勤労感謝の日) “秋山家の雑煮を秋山兄弟生誕地で食べる”珍しい企画

  坂の上の雲ミュージアム(松山市)が主催した「 フィールドミュージアムツアー2015 ~秋山家ゆかりの地を歩く会~」
ご一行30人が23日午後、生誕地に来られました。

  秋山家ゆかりの地は、好古が学んだ明教舘と眞之が通学した松山中学校の跡地(現・NTT西日本)や、眞之が学んだ勝山学校(現・番町小学校)と近藤塾跡などを歩き、秋山兄弟生誕地では敷地内の武道場に上がり、秋山家ゆかりの雑煮を食べられました。

  この雑煮は、生誕地近くの割烹「桃李花」のママ・村井さんが店から運び、「好古4女の米田治子さんから私が直接作り方を教えていただいた秋山家の雑煮です」と説明しました。

 当日は心配された雨もなく、ご一行は生家も見学して次の目的地に元気に向かわれました。


△割烹「桃李花」から運ばれた秋山家の雑煮を食べたあと、ビデオを見られるご一行(秋山兄弟生誕地武道場)
 

11月19日(金) 秋山好古との縁をたづねて船田一雄の嫡孫・船田昌喜様

  秋山好古と船田一雄は明治44年、東京学生寮「常盤学舎」の前身「常盤会寄宿舎」で、好古が陸軍中将の多忙な身で寮の監督を引き受け、 船田が検事でありながら寮生を直接指導する舎監になったときから、交際が深まった。

  好古は当時、寮の内部が混乱していたのを立て直したが、その下で協力した船田の尽力も大きかった。
船田が寮の報告で好古の家を訪ねると好古は、「よう来た。上がれ、上がれ」と喜び、酒を酌み交わしたという。

  船田一雄(1877~1950)は上浮穴郡東明神村(現・久万高原町)の庄屋の家に生まれ、松山中学(現・松山東高)在学中、夏目漱石の教え子になった。 東京へ勉学に出たが生家の家計は苦しく、働きながら東京大学法学部を7年かけて卒業し、検事に就任した。 その間、常盤会寄宿舎には、明治32年9月から同38年4月まで寮生でいた。

  当時、寮の監督・内藤鳴雪は船田の人柄を見込み舎監にしたが、船田は明治43年6月から再び舎監になり、監督になった好古と親しくなった。
 
  その後、三菱財閥の当主に頼まれ検事から三菱財閥の理事に転身。実業界でも実績を上げ理事長までのぼりつめたが、終戦後の財閥解体で三菱財閥の幕引き役となった。

  船田は郷里への思いが強く、故郷で農林学校建設の際、講堂「知今堂」を寄付したり多額の援助をした。
吉田茂総理大臣(当時)とは、東京大学の同級生で親しく、船田危篤の報に、吉田は国会の合間をぬって見舞った。
船田の墓石の字も、吉田が書いた。

  船田一雄の故郷や松山の関係先を訪ねた嫡孫・船田昌喜氏(東京都=元東京海上火災勤務)は、好古の騎馬像を見ながら 「酒好きだった祖父が、好古と酒を酌み交わす姿が目に浮かぶようだ」と感慨深かそうだった。


△常盤学舎の発展にも尽くした元三菱財閥理事長
船田一雄(久万高原町出身) 

△一雄の嫡孫・船田昌喜氏


△明治29年、松山中学の卒業写真より。夏目漱石(前から3列目の左から2人目)と
教え子の船田一雄(前列右から2人目)
 
 

11月15日(日) 常盤学舎寮祭(その2交歓編)

常盤学舎寮祭が始まりました。


△寮祭の参加者全員で記念撮影


△12時から、寮生の案内で改修後の寮内を見て回るOBの皆さん。東京と松山のOB会が、改修費の募金に大変協力していただきました。


△久しぶりに屋上から東久留米市の街並みを眺め「あの当時の東久留米はノウ--」と学生時代を懐かしみました。


△12時30分から1階ロビーでの立食パーティ。卓上は「じゃこてん、秋山兄弟せんべい、寿司や飲み物」などでにぎやかでした 。


△スピーチの時間に、先輩の話を神妙に聞く後ろの寮生
 

11月15日(日) 東京学生寮・常盤学舎で寮祭(その1準備編)

  愛媛出身の男子学生寮「常盤学舎」(東久留米市)で15日、寮OBや寮生ら45人が集まって寮祭を催しました。
秋山好古、眞之兄弟や俳人正岡子規など愛媛出身の著名な人物の多くがこの寮とゆかりが深く、1887年12月1日に開設して以来、 寮祭は伝統行事となり、今回で128回目となります。

 前日の雨もあがり、寮生や舎監夫妻が時間をかけて準備したため、当日は関東在住者と愛媛から出席した寮OBの20人と寮生が、昔話や今の学生生活 の話で盛りあがり、楽しい一日を過ごしました。


△大学の習字愛好会会員の寮生が得意の筆で看板書き


△寮祭は別名「菊まつり」なので玄関右に菊をいっぱいに飾りました


△1階厨房では舎監夫人と応援の方が大忙し


△手づくりの料理がテーブル一杯にならんで、開宴を待ちました
 

11月15日(日) 午後、好古の曾孫・足立荘大(あだち・たけひろ)さんご一行

  秋山好古と妻多美の3女・勝子さんは、足立荘(そう)氏に嫁ぎましたが、その孫 の足立荘大さん(京都市)がお二人で来館されました。

  荘大さんによると「祖母・勝子は1904年(明治37年)の日露戦争の最中に生まれたので、 戦いに勝つように『勝子』と名づけられた」そうです。

  生家に展示されている好古家族の写真や資料を見た荘大さんは 「初めて見ました。案内していただいた仙波満夫さん(研究員)の説明が丁寧なので、足立勝子との関係を話したのです」と述べ、宇都宮生誕地運営委員長から詳しい資料も見せてもらい、 楽しいひとときを過ごされました。


△好古騎馬像の前で曾孫の足立荘大さん(左)とお連れの方


△生家の縁側で宇都宮委員長[右)から資料の説明を受けるお二人


△荘大さんの祖母・足立勝子さん(中央)。右は母・多美。
左は姉の長女・與志子=写真は好古の1回忌法要写真の一部
 

11月14日(土) 秋山眞之のお孫さんと元海軍兵学校生徒が歓談

  秋山真之孫の静岡産業大学特任教授青山芳之氏が来場されました。 青山氏は真之次男・固(カタシ)氏のご子息で、奥様と一緒に久しぶりに生誕地を訪問されました。

 当日は、雑誌「男の隠れ家」の記者・カメラマンのチームが取材の最中で、青山氏は早速取材を受けていました。 年内発売予定の「男の隠れ家」の紙面が今から楽しみです。

 また青山氏への取材の最中、海軍兵学校オー302分隊75・76・77期生のご一行が来場されました。 江田島旧海軍兵学校大原分校の二号生徒、三号生徒、四号生徒5名とご家族の皆様で、年に一度安否確認を兼ねて全国から集まるとのことで、 今回は道後温泉に集合されて旧交を温められました。 在学中に終戦を迎えられましたが、海兵17期の大先輩・秋山真之のお孫さんの登場に驚かれ、 さっそく青山氏を取り囲んで和やかに話をされていました。

 秋山真之孫青山氏と真之後輩の海軍兵学校OBの皆様、そして「男の隠れ家」取材チームのご来場と、慌ただしいひとときでしたが、 秋山真之を巡っての不思議なご縁を感じました。  (取材 理事 佐伯 健)


△生家を訪れた眞之孫の青山芳之さん


△眞之胸像の前で海軍兵学校75・76・77期ご一行と青山さん(右端)


△青山さんと歓談する元海軍兵学校の皆さん
 

11月11日(水) 興居島小学校6年生が来館

 松山市の沖合にある興居島小学校から6年生7人が、先生2人に引率されて来館しました。

社会科で学んだ歴史に関する施設を見学する勉強の一環で、秋山兄弟の銅像や生家に陳列されている史料を見学しました。

 そのなかで、兄好古が 日露戦後、子供たちからロシアのコサック騎兵隊を打ち破った話をせがまれたとき「なに、逃げなかっただけじゃよ」とだけ答えたことや、弟・真之が「日本海海戦で勝てたのは、すべての乗組員がその持場持場で最善を尽くした結果であって、特定の誰かの力ではない」と力説していたことを聞き、ある生徒は「秋山兄弟がそう語っていたことの意味を理解できるようにしたい」と感想を述べました。(案内と取材:山崎薫理事)


△歴史の勉強で秋山兄弟生誕地を見学した松山市立興居島小学校6年生



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