ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。
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5月21日(日) 常盤学舎だより(その1)大掃除

 愛媛出身の東京・学生寮「常盤学舎」では、春の大掃除と寮生会が開かれました。 新入寮生は 5 人。東京や大学生活にも慣れてきて、元気に青春を謳歌しています。


△先輩と一緒に玄関の水洗い


△ミニキッチンの掃除


△「ご苦労さん」とかつ丼を舎監が提供
 

5月21日(日)  常盤学舎だより(その2)寮生会

 寮生全員が集まる月例寮生会が大掃除のあと開催され、明治20年に常盤学舎が創設されて以来の伝統行事である「研究発表会」が行われました。正岡子規が居た頃は「演説」が主流でしたが、今はビデオを使って発表しています。

 研修発表は、寮生がそれぞれ何を学んでいるかを知ると同時に、お互いの情報発信能力を高める良い機会です。今日の両君の発表は、寮生の興味深いテーマであり質疑応答で盛り上がり、貴重な機会となりました。


△「ランサムウエアとは」を発表する有延颯(ありのぶ・はやて)君。「ランサムウエア」はパソコンに侵入する身代金要求型の不正プログラムで、その対策が世界的な関心事になっています。


△「産業能力開発総合大学とは」を語る林航稀(はやし・こうき)君。同大学建築科に学び、丹下健三が設計した東京都庁の新築当時の秘話も語りました。
 

5月20日(土) 「お城めぐり」で約600人(その1)

  5月晴れで暑さを感じる今日、「お城下の著名な施設をめぐるウオーク大会」が松山市、南海放送などの主催で開催され、 秋山兄弟生誕地にも10時近くから約600人が続々と来館されました。

  家族連れが多く、生誕地内のクイズ板の答えを指定用紙に書き込んだ後、銅像や生家を見て次の訪問地に歩いていかれました。 (写真=宇都宮良治)


△「お城めぐり」のパンフレット


△秋山兄弟生誕地のクイズ版。お答えはすぐですよね。ヒサタカは兄弟の父の名前


△第1班約200人が到着


  △暑いので、生誕地は木陰が人気
 

月20日(土) 「お城下めぐり」(その2)

 好天に恵まれたとはいえ気温が上がる中、皆さん元気に「お城下めぐり」のウオーキングを楽しまれました。


△南海放送ラジオの取材を受ける佐伯健理事


△クイズの回答書を見せてもらいました


△今日のクイズの正解は秋山眞之。海軍兵学校の 4 年間を首席でとおした眞之にあやかろうと、 生誕地内の眞之像を触る人が多く、とくに胸像の左手は塗装が剥げてピカピカ。 「松山のパワースポット」として噂が広がっています。
       「お城下めぐり」に参加した坊やも、お母さんにだっこされて眞之の手にタッチしました。
 

月3日(水) 生誕150年に子規の墓に詣でる

 子規の墓を詣でた。墓は、東京・ JR 山手線「田端駅」から歩いて10分「大龍寺」にある。

 子規は「死んでも戒名はいらん。石ころでも置いてくれ。どうしてもというなら墓誌銘はこの文だけだ。」という趣旨の手紙を明治31年7月13日、友人の河東詮(せん=碧梧桐の兄)に書いた。その墓誌銘が墓の横に建っている。

 子規はこの年、松山で柳原極堂が作った俳誌「ホトトギス」が資金難で廃刊になるのを恐れ、病身ながら決死の思いで東京に移し、経営を高浜虚子に託した。夏目漱石は、熊本五高の教師で妻・鏡子と熊本市内に居た。やがて虚子の「ホトギス」に「吾輩は猫である」を書き小説家になる。子規の親友・秋山眞之は海軍大尉で米国留学中だが、キューバのサンチャゴ湾で米国海軍がスペイン艦隊を封鎖して撃滅した詳細な報告書を海軍省に送り注目された。

 明治31年は、子規、眞之、漱石、極堂、虚子にとって、それぞれの人生の大きな節目の年であった。(取材と写真=重松益見・秋山兄弟生誕地研究員)(文責=宇都宮良治)


△大龍寺の本堂。本堂の左横から子規の墓へ通じる。


△子規の墓。右に母・八重の墓。左は正岡家の墓で妹・律も眠る。


△子規の墓誌銘がはめこまれた石碑。昭和 9 年に建立されたが、平成 19 年に建て替えられた。


△子規が書いた墓誌銘の全文
 
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