最新ニュース

ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。

 

1月20日(日) 新成人常盤学舎で餅をつく

 
寮生会のこの日、先ず常盤学舎好例の正月餅つき大会をしました。
 

餅つきの初めは、 3 人気合を込めて杵で練ります。
 
 
    そして新成人の二人が搗きました。
写真左は明星俊紀君 ( 立教 ) 。写真右は、寝坊マナコで現れた松本楓大君 ( 東大 ) です。
 

搗きあがった餅は、大根下し・きな粉・あんこ・イチゴ・ゴマなど色々入れて頬うばりました。
 


  お餅の後は、トン汁で寮生会です。講演の 1 本目は菊池祐児君 ( 日大卒演劇研究生 ) の「声について」 ……
  俳優の声を例に、色んな話が出ました。

 

2 本目は清家航太郎君 ( 駒澤大 4 年 ) の「ストリートダンスとは」 … 高校時代からポップダンス をやっていたそうです。 清家君が新入生のとき、舎監も学園祭に踊を見にいきましたが、「ダンスは 2 年生で止めました」とのことでした。
 

1月6日(日) 秋山好古生誕160年祭挙行
                  その1  式典と稽古始め

 
 安政6年(1859)1月7日、ここ旧松山藩中歩行町の下級武士秋山家に、信三郎好古がうまれてから160年。世は明治、大正、昭和を越え、平成も31年を迎えた正月のこの日、兄弟に想いを寄せる方々集って生誕祭が行われました。
 

伊予松山水軍太鼓「出陣の曲」 - 平松龍一理事他 ネッツトヨタ瀬戸内 有志

 
  第1部、生誕160年記念式典には、(来賓席写真左から)中村時広愛媛県知事さん、野志克仁松山市長さん、また、横浜から孫の秋山好史さんや大阪から親友のひ孫新田長彦さんも遠路御参列下さいました。
 

   
 常盤同郷会山崎薫     中村時弘愛媛県知事祝辞    野志克仁松山市長祝辞   秋山好史氏謝辞
 理事長開会挨拶

 

生誕祭式典終了後、御来賓と常盤同郷会柔道・合気道部員・会員で記念写真!

 
 先に祝辞を頂いた方々の他、式典には、好古少年が学んだ藩校を起源とする松山東高村上校長、晩年の好古が校長を務めた旧制北予中の後身松山北高立石校長、坂の上の雲ミュージアム松本館長、松山子規会烏谷会長、鹿屋体育大学濱田教授、山下眞一郎氏ほか山下亀三郎翁を偲ぶ会の方々―宇和島で穫れた祝賀の餅つき用の米も贈って下さいました― また、歩行町二丁目竹田町内会長、松山白鷺ライオンズクラブ―同会より柔道部・合気道部の活動に対し表彰状をいただきました―の川添会長、当常盤同郷会役員他、秋山兄弟に御縁の深い、郷土内外の方々がお集まり下さり、共にお祝いすることができました。 
 

第2部 稽古始め: 初めに常盤同郷会道場柔道部 (毎週土曜午後6時45分から稽古しています)
―眞之らが作った松山同郷会から続き、帰郷後の好古もその会長を亡くなるまで務めました。

 

つづいて秋山兄弟道場合気道部の稽古始 (青少年は毎週土曜午後5時から稽古しています) 

 
  式典の前後には、生家の庭で祝賀の御餅つきをしました。もち米は山下翁の故郷吉田町産、合気道柔道部員の大人が釜で蒸し、杵で搗くのは子供たち、丸めるのはその母親や秋山兄弟生誕地研究員のお手のもの。式典参加者や一般の来客も交えて、搗きたての白もち、安倍川もちをほおばりました。
 
 

1月6日(日) 秋山好古生誕160年祭  その2  日中露座談会
          ~好古は松山の青年に何を伝えたかったのか~

 
  第3部では標記を副題とする日中露座談会「人間秋山―受け継がれる想い」で、好古さんの人柄に近づければと、様々な立場から150人が道場に集いました。 
 
 
  パネラーは、(シン) 東風 愛媛大学教授(中国思想史)、シャクマトフ・ディミトリ 愛媛大大学院教授(数理科学)、秋山好史氏(好古孫)と進行役の当常盤同郷会山崎理事長の4人。

  秋山好史氏は、当初パネラーを引き受けて下さっていた新田長彦(たけひこ)氏(好古の親友新田長次郎の曽孫・ニッタ㈱名誉顧問)が直前に体調を悪くされた為、急遽友のために代わって座談の席に着いて下さいました。

  それは、その祖父好古が新田長次郎の帯皮工場を見学して意気投合し―「新田君、君は実業家だから大いに金を儲けて国益を図り給え、僕は軍人だから人をつくって国家に尽くそう。」―と生涯の友となって以来、子々孫々にわたって偶然のように交わってきた友誼がまた結ばれたようで、感慨深く座談会を始めさせていただきました。  
 
 
  座談会の中では、生家に展示中の扁額『一以貫之』(一 以て之を貫く)を、最晩年の好古は後身にどんな意味を込めて書いただろうと話題になり、(シン) 東風氏はこう言われました。

  ――その孔子の言は論語の中に2回。1か所目では、それを聞いた弟子によれば、『一』とは「忠恕」。「忠」は相手に良いこと(処)があったらそれを十分に理解して成就させること。「恕」は、相手が困る事悪いことがあったら、それを助けること。つまりどちらの場合も相手の立場で相手の為に考えるということだと。そして(2か所目で)、孔子が自分の一生で大切にしてきたことは「物知り」であることではなく、「まとめて一つを貫いたこと」である、と。

  (参加した方の感想では、この辺の問がいちばん印象深かったという方が少なくなく、この春東京進学・常盤学舎入寮が決まっている高校3年亀山君は、あとからネットで孔子の言葉として「一以貫之」を調べ、あらためて考えているそうです)

  「秋山氏の場合『一』とは何でしょうね!?」。とシン東風さん。―自分の知っている限りでいうなら、それは彼が口頭で言ったことや、紙に書いたものではなくて、自分の実践した事の中にあるのではないか。例えば、亡くなった部下への同情心からの現役の時や退役後の質実な行動、単身赴任で故郷に帰って中学の校長を務めたことなど、『一』は、一つだけでなく色々な形に現れるのではないかと。

  その事は、孫の秋山哲兒氏(長男信好氏子息)が、昨年「文芸春秋」正月号の『明治150年 美しき日本人50人』の中で、祖父好古を紹介した際、「自分や家族のためではなく、最後まで、『他者』を思い遣る人だった」と結ばれている人柄を想い出させました。  
  
       ( シン ) 東風氏            シャクマトフ氏              秋山好史氏
 
  その『一』はまた、好古の「責任感」にも通じ、「人のせいにしない、頼らない、逃げない」、それは、好古さんが明治の時、常盤会世話人として寄宿舎や松山同郷会の青年たちに基本だと語った「独立心」から来るものと考えられます。

  秋山好史さんは、「普通に生きてきた好古の22人の孫もだんだん減ってきて、その5人のうちの1人が私で、祖父がそんなに偉い人とは…わが身を反省するばかり」と笑わせながら終始控えめに語られましたが、そんな中、「自労自活」(先の式典での挨拶で、「親を当てにするな、自分の事はなにもかも自分でやれ」、ということだけは、非常に厳しく言われてきました」と)、これが、秋山家の家訓のようであったと触れられました。

  これぞ、講和間近い満州の戦場から好古さんが家族にあてた手紙の一節と同じく、その後生まれた末子の次郎(じろう→好史氏の父)氏にも語ったであろう「自労(じろう)自活は天の道…」であり、また、死線を共にした騎兵たちに贈った別れの歌の一節であり、その20年ほどのち、北予中学生800人にも訥々と話した、御自身の実践そのものでした。

  モスクワ大学で数理科学を研究し、縁あって愛媛の青年を教えて25年のシャクマトフさんは、ロシア兵捕虜と当時の松山のことや、今「誓いのコイン」上演を機に愛媛との友好交流を重ねているオレンブルク州が、秋山好古の戦ったコサック騎兵の地でもあることなどを、ロシア人の立場から話して下さいました。その聴衆に直結する気さくな語りかけは、好古が日露戦前にもシベリアで旧知のロシア騎兵と酒を飲みながら歓談し「ロシア人の気分のよさは世界一かもしれん」と言ったりしたことを彷彿とさせるようで、天の好古さんの歓びが目に浮かぶようでした。

  国と国で対立することはあっても、双方の人間同士では、何人とでも分け隔てなく親しんで理解を深めようとし、相手にも好かれた大人の風を、当時の松山の青年が好古さんに直接接して学んだであろうことを、想いだすことができました。

  聴衆のひとり 歩行町在住の中学2年生露口君は、好古さんのまごころからの思いやりが彼を強くして、今も語り継がれているのだと思います」と後日感想文を寄せてくれました。                         (文責/進行 山崎)  
 
 最後に御報告いたします。昨年末12月30日に、秋山兄弟の魂を永く伝えるため当生誕地の整備公開を先頭に立って進めた前理事長平松昇が享年84歳で旅立ちました。その事をこの日好古生誕祭式典に先立って皆様にお伝えし、黙祷を捧げました。…昭和12年、井上要さんたち有志がここ遺邸を修理公開、昭和20年戦火焼失後、平成17年に成った生家復元公開は、故理事長とともに尽力された県内外の有志の方々と、それに応えて募金を頂いた全国1万人の志で成った事を偲び、次の代へと守り繋いで参りたいと思います。 

 故、平松昇 常盤同郷会前理事長( 1935-2018.12.30 ) 
2017 年(平成 29 ) 4 月 12 日 秋山兄弟生誕地での日仏親善柔道大会の日に

 

お知らせ 1月6日(日) 秋山好古生誕160年祭―生誕地にて


初春のお慶びを申しあげます。

これまで、秋山兄弟生誕地に御来訪いただいた様々の方々との御縁に感謝し、新年のご家族とそれぞれの郷国の幸をお祈り申し上げ、本年もみなみな様と共に励んで参ることができればと存じます。 どうぞよろしくお願い致します。

                              平成31年元旦  公益財団法人 常盤同郷会


 さて、本年は、兄好古が生まれてから 160 年の歳を迎え、来る 1 月 6 日には下記のとおり、ここ歩行町の生誕地で祝祭を開催いたします。餅つき、式典、新年稽古始めに続き、とくに第3部として、「人間秋山」を廻る日中露座談会も行います。

                               記
〇第 1 部 : 9 時 30 分~ 10 時 00 分 秋山好古生誕 160 年祭式典(生誕地内武道場)  
〇第 2 部 :10 時 05 分~ 10 時 35 分 常盤同郷会柔道部・合気道部の新年稽古始め
〇第 3 部 :11 時 00 分~ 12 時 30 分 生誕 160 年記念日中露座談会 ※ 下記チラシ

〇9時 00 分~ 13 時 30 分  餅つき大会(生誕地前庭)                               
                   ―但し上記の式典と座談会の間は休み―

 この間、全国から生誕地に来訪される方々は、生家は入場無料で、いつもどおりご覧になれます。御餅つきをしている時でしたら、杵をふるうこともできます。

 好古は、安政6年( 1859 )1月7日、 父久敬が 37 歳、母貞が 32 歳の時に、 3 番目の男子としてここ歩行町の家で、産声をあげました。


  秋山兄弟産湯の井戸の側にて―福岡の山田さん御一家 年末 12 月 27 日に生誕地においでました。その 2 歳の弟シュン君は、信三郎 ( 好古 ) の弟「淳五郎(ジュン)」に負けず劣らず、元気に親を困らせていました。            

 右側は、晩年、好古が校長を務めに帰って来た生家での写真と、同じ場所です。
好古さんは、陸軍での仕事のいっぽう、現役の時から退役後に至るまで、終始故郷の青年の育英に心がけてこられました。

 「第 3 部」では、そんな好古さんの一生に近づければと、下記の趣旨で座談会を行います。

 

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