兄・好古は、いわゆる古典的な武士の風貌があり、戦場で一歩も引かぬ大号令をだして日本軍を救った反面、部下や家族を思いやる言葉の記録がある。これに対して弟・眞之は、書は少なくむしろ避けてきている。性格も言動も兄とは対照的であった。
しかし、手紙や文章は多く残されている。

偉大なる先人秋山兄弟の残した言葉

秋山好古(よしふる)

大海はみんな水じゃよ手じゃ防がれぬ うっちゃっておきなよひとの口
だって今更どうなるものか 隠し立てすりゃなお知れる

世界の情勢分析

「今でこそドイツは勝っているようだが、ドイツ軍のやっている跡をみると、甚だ驕慢であり、自惚れが強すぎる。それのみならず作戦方面はよいが、外交が甚だまずい。きっと今に孤立に陥り不運な立場にたつだろう」(第一次世界大戦初期のドイツ軍快進撃に沸く陸軍部内に冷水を浴びせた)

北豫中学校校長

「俺は中学校の事は何も知らんが、外に人がいなければ校長の名前は出してもよい。日本人は少し地位を得て退職すれば遊んで恩給で食うことを考える。それはいかん。俺で役に立てばなんでも奉公するよ」大正13年4月北豫中学校校長に就任する前年、友人・井上要氏の就任要請への答え(「北豫中学松山高商業楽屋ばなし」。以後6年間、歩行町の生家から1日も休まず精勤した)

「少年時代からいい習慣をつくらなくちゃいかんよ。机の上の品物はちゃんと整頓して置くものじゃ」「室内の不整頓は、客を遇する道ではないからね」(同校長室で給仕に)

家族に

「人間は貧乏がええよ、艱難汝を玉にすと云うてね、人間は苦労せんと出来上がらんのじゃ。
“うき事のなおこの上に積もれかし 心のたけをためしてやみむ” 分かるかい。こういうように人間は苦しみと戦わんと偉い人にはなれんよ。苦を楽しみとする心がけが大切じゃ」                           (次女・土居建子「父の俤」)

人物評

内山大将の好古評 「秋山は、これは重要なことであると思えば、人一倍努力する男であったが、大局から見て、之はつまらぬことであると考えると、これまた人一倍放っておく人であった」

森岡大将の好古評 「秋山将軍は、騎兵の練成と教育については、常に大局から之をみておられた。区々たる形の上のことばかりしか気付かぬ指導者であったならば、貧弱不振であった騎兵を、到底今日のような騎兵にすることはできなかった」

出典:秋山好古大将伝記刊行会(代表者・桜井眞清) 昭和11年11月1日発行 「秋山好古」

秋山眞之(さねゆき)

天剣漫録(てんげんまんろく)

「細心焦慮は計画の要能にして、虚心平気は実施の原力なり」
「成敗は天に在りといえども人事を尽くさずして、天、天と言うなかれ」
「世界の地図を眺めて日本の小なるを知れ」
「咽もとすぐれば熱さを忘るるは凡俗の劣情なり」(明治32年米国留学中のメモ)

敵艦の屍に祈る

日本海海戦で降伏した敵艦ニコライ一世(艦長ネボガトフ)に軍使として派遣されたとき、敵軍の屍に敬礼し、後日眞之は、自分の作戦で敵味方に多大の死者が出たことを心に深く刻んだという。

聯合艦隊解散式における訓辞
(結語部分―東郷平八郎大将朗読の原稿は眞之が起草したといわれる)

神明はただ平素の鍛錬につとめ、戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より、直ちにこれを奪う。
古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と。

第一次大戦を視察して将来を予言

「ドイツは誇大妄想ともいうべき極端な自我主義に染まっていて、孤立している。ドイツは必ず敗れる」
「こういう戦争は思想、経済、人種など難問題が錯綜して絡み合うから、短時日の間には片付かない」(新聞紙上に発表)

将来の海戦と日本

「次の大戦は国家の総力戦となり、無制限戦争になる。戦闘は航空機と潜水艦が主力になる」「米国と事を構えてはならぬ。日本は大変なことになる」

部下に対して

必ず「あなた」と呼び、何か命ずるにしても「~してください」をつける。
仕事をやらせたら「ありがとう」を忘れなかった。当時の軍人としては稀有の言葉遣いであった。

出典:秋山眞之会(桜井眞清)昭和8年2月10日発行「秋山眞之」