昭和12年建立 秋山両将遺邸之碑
秋山両将遺邸碑文
(ほぼ原文どおりですが、一部、読みやすいよう現在の文字等に簡略化しています)
陸軍大将 秋山好古君 海軍中将 秋山眞之君 兄弟生誕ノ地タル 松山城東中歩行町ノ邸宅ハ 天保年間 父久敬翁ノ構築ニ係リ 環堵蕭然トシテ 素朴ヲ極ム
大将ノ晩年帰リテ北予中学校長ノ任ニ就クヤ 旧屋中ニ起臥シ 僅ニ墻壁ヲ修治セシノミ
今ヤ両将既ニ舘ヲ捐ツ 遺邸ノ漸ク朽廃ニ帰セントスルヲ憂ヒ 同志ノモノ其保存ヲ計ラントスルニ際シ
久松伯爵及ビ山下亀三郎 新田長次郎氏等 資ヲ投シテ之ヲ助成シ 旧邸ヲ購ヒ修補ヲ施シ 且ツ両将ノ遺品ヲ蒐集シテ永ク其徳風ヲ傳ヘントス
而シテ其保存管理ハ挙テ松山同郷会ニ託シタリ 同会ハ青年教養ノ為メ中将ノ創設セル所ニシテ 大将モ亦カツテ舎長タリシヲ以テナリ 是ニオイテ同会ハ更ニ其西隣ノ地ヲ求メテ会館ヲ移シ 以テ旧邸管理ノ任ニ便スルコトニセリ 若シ夫レ両将ノ人格勲業ハ赫々トシテ人ノ耳目ニアリ 復タ縷説ヲ要セザルナリ
昭和十二年七月 秋山両将遺邸保存会 井上 要 撰 並に書