秋山兄弟生誕地

2月6日(土) 名古屋と松山のオンライン交流会~秋山好古の小学校教員時代~

秋山好古が陸軍士官学校に進む前の物語です。
  明治 8 年( 1875 ) 17 歳で上阪した好古は、しばらく代用教員を務めて大阪師範学校に入学しました。翌年卒業後は、 18 歳で名古屋の小学校に勤務しています。明治 10 年( 1877 )には陸軍士官学校に入学していますから、1年間程度だったのでしょう。記録によると、三等訓導として赴任していますので、校長待遇の立場で採用されています。
  その時代の勤務校は、愛知県師範学校附属小学校ですが、実は、熱田神宮の近くの千竈(ちかま)学校(現在の名古屋市立白鳥小学校)であったという記録も残っていて(明治 10 年 2 月上京の際の辞任届)、白鳥小学校の沿革史にも書かれているそうです。
  近代教育の草創の時代、師範付属小と千竈学校、そのどちらにも好古に期待して招請した人物がおり、相前後して勤務したのか、或いは草創期の事とて両校兼務の時があったのか、現在双方で究明中です。

さて 何とこの日、その千竃学校の後身、名古屋市立白鳥小学校の教頭先生をお迎えして、ズームでのオンライン交流会が行われました。同校は、秋山好古をゆかりの偉人として学校の授業で取り上げています。

名古屋と、松山(秋山兄弟生誕地、市教育研修センター、愛媛大学)の4ヵ所を繋ぐオンライン交流会

――好古揮毫の扁額を掲げた常盤同郷会道場(秋山兄弟生誕地)での写真

参加者は、名古屋市立白鳥小学校の左近教頭先 生、常盤同郷会山崎理事長、松山市教育研修センター指導主事の鵜久森先生、山中先生と、私、常盤同郷会ボランティア遠藤の5名です。1時間半ほどの交流会でしたが、あっという間の楽しい時間でした。
  秋山好古のだれからも愛され信頼されていた人間性にふれたり、陸軍士官学校に行くようになった背景を語り合ったり、教育者として生き方を語り合ったりしました。また、名古屋での 秋山好古 の生き様にも触れた貴重な時間となりました。

  交流会を終えて、陸軍大将でありながら、晩年、郷里松山で私立北予中学校の校長を6年間務めた秋山好古の生き方の原点にも触れたような気持ちになりました。
  コロナ禍でお互いに足を運んで交流することはできませんが、また、こうしたオンライン交流会を行いたいと思います。そして、いつの日か、秋山好古が過ごした名古屋に訪問したいと思いました。(レポーター:遠藤)