秋山好古(1859年~1930年)は158年前の1月7日、この地で誕生しました。 好古は子供の頃から意志が強く、働きながら独学し、小学校教員から陸軍士官学校、陸軍大学1期生と進み、 フランスへ留学後、日本の騎兵隊の育成に励み、日露戦争でロシアのコサック騎兵軍を撃退して日本軍の危機を救いました。
陸軍大将で退役後は松山に帰り、私立北予中学校(現松山北高校)の校長を死ぬまでの6年間、一日も休まず務め生徒や市民に慕われました。
戦功などは一切語らず、「戦死した部下やその家族をお気の毒に思い、一人質素に暮らしたい。」と語り、戦死者の慰霊のための石碑などの字を頼まれれば快く応じ、 全国に58基もあります。
好古が書いた石碑の写真が今、生家西側に展示されています。(写真=仙波満夫)
△秋山好古生誕158年祭での記念撮影
△記念式典会場の秋山兄弟生誕地内武道場
△来賓祝辞を述べる松山市長代理・西泉彰雄松山市副市長
△松山白鷺ライオンズクラブ・梅林哲次会長から年間優秀者の表彰を受ける
柔道部・藤田奈央未さん(右)と合気道部・渡邊優作君
「ヤー」「エイ!」と元気な声が秋山兄弟武道場に響きました。
(公財)常盤同郷会の柔道部と合気道部が秋山好古生誕 158 年祭式典後、両部あわせて60人が平成29年の合同稽古はじめを行い、子供たちを元気づけようと「ネッツトヨタ瀬戸内㈱の有志」が水軍太鼓で勇ましい演奏をしました。
△ネッツトヨタ瀬戸内㈱有志の水軍太鼓が勇壮に響き、子供たちを激励しました。
△柔道部、合気道部の平成29年稽古はじめが元気よく開催
△両部の記念撮影