秋山兄弟生誕地

7月2日(月)  秋山兄弟生誕地研究員等、江田島へ

明治 21 年、海軍兵学校が築地から江田島に移り、秋山眞之もここに来た。その跡にある海上自衛隊第一術科学校の現校長は、松山出身の中畑康樹海将補。先般 3 月、当生誕地での眞之生誕 150 周年祭の節に「 伝統の継承~秋山眞之の功績と海上自衛隊」と題する記念 講演に来てくださいました。そこで今年の研修旅行は、まさにそのテーマの現地見学と表敬訪問を兼ね、当生誕地から島を訪れました。

左 江田島 :聳える古鷹山(標高 394 m)は裾野の海軍兵学校以来、今も術科学校生が何度も登っているという。右 呉 眞之帰省のときの航路も。

大講堂にて   真中左 中畑康樹第一術科学校校長 右 加藤雅已副校長

松山からの訪問団は 26 名で、秋山兄弟生誕地で普段ご案内する研究員等常盤同郷会(現理事長他)のメンバーと共に、今回は松山子規会(烏谷照雄会長他)の 7 名の方も、眞之と子規のように仲良く訪ねました。
  兵学校卒業直後、軍艦比叡で遭難トルコ兵を送ったコンスタンチノープルから、常盤会寄宿舎の子規にあてて『…世界は広くして余程狭く御座候』と送った賀状(今当生誕地展示中)の言葉も思い出されました。

(左)担当自衛官は訪問者に向く軽快な後ろ歩きで、構内の伝統や現在の事を明解に語って下さいました。
 (右)いちばんの目的「教育参考館」前にて。

館内では、江戸後期の「海国兵談」から第二次大戦で戦死した海軍兵士の手紙まで、先輩たちが国を守ろうとして遺されたことを学べるように展示され、そのご案内を受けました。中には日露戦後の将兵に求めた墨跡もありました。好古は別れゆく兵士たちにおくった歌の一節『自労自活は天の道 卑しむべきは無為徒食…』、この言葉を、あらためて書き遺していました。この同じ時弟眞之が遺したのは、元気な鯉の墨絵でした。