1868 年3月20日、秋山淳五郎眞之が産まれてから151年となるこの日、関係者や御近所の方約100人が当常盤同郷会道場に集い、生誕祭が行われました。
淳(じゅん)さんは、海軍での使命を果たした日露戦後も13年間、日本とアジアの将来や人間について考究し続け、その途次1918年満50歳を前に亡くなりましたが、その一方故郷のためにも、兵学校在学中に在京の同郷有志と図って創設した「松山同郷会」-常盤同郷会の前半身-に意を払い、松山の青少年育英にも貢献しました。
生誕祭では、ご参加下さった方々ともに、道場に響む琴の音に煎茶を戴きながら、眞之の生涯を偲びました。
9 : 30 ~ 10 : 10 式典
10 : 10 ~ 14 : 00 茶会・筝曲演奏
式典では、中村時広愛媛県知事や野志克仁松山市長が真之の人柄を偲ぶメッセージを寄せてくださり、それぞれ愛媛県スポーツ・文化部長、松山市坂の上の雲ミュージアム事務所長が代読して下さいました。
つづいて、子規眞之の仲を偲び、松山市立子規記念博物館竹田美喜館長の祝辞
真之から子規宛てにトルコから届いた賀状の「世界は広くして余程狭く御座候」について、明治 24 年頭のこの賀状の時は、双方にとって大切な変わり目の時で、帝大に進んで間もない子規さんにとっては哲学科から国文学へ変わる決意をした時のこと。その賀状に転機の子規がいかに励まされたかが語られました。
つづいて、眞之さんのためならばと、友人山下亀三郎翁の孫・山下眞一郎様と洋二郎様兄弟も東京からお見えになり、兄弟支え合うあたたかい祝辞を頂きました。 また、秋山眞之の孫 青山芳之様も 東京からおいで下さり、最後に、謝辞と共に、眞之の第 2 子である固(かたし)さんが母の姉の婚家青山家の養子として育った後、実父を知った時のお話も交えてご挨拶を頂きました。
献茶後の茶会席にて:伊豫賣茶流天山會お家元岩田天山様と談話を楽しみました。写真左から坂の上の雲ミュージアム松本啓治館長 土居忠博県スポーツ・文化部長(愛媛県知事代理)、松山市坂の上の雲ミュージアム事務所石丸耕一所長(松山市長代理)、そして秋山眞之の孫 青山芳之氏。
献奏:生田流正派邦楽会 前谷雅貴社中
献茶・献奏にて式典終了後も、ひきつづき道場では社中の小中学生4人の筝の音が響きました。その中、式典参加の方や三々五々来訪された御近所歩行町や大街道の方を含め、御昼過ぎまでの間、計 100 人余りの方々が、天山会の方のお点前でゆっくりと煎茶の時を過ごしました。