秋山兄弟生誕地

4月29日(日) 好古が赴任した名古屋の小学生御家族来訪

昭和の日のこの日、愛知教育大学付属名古屋小学校 3 年生の長岡沙織さん(8才)がご両親、弟の駿太郎くん(小1)と一緒に生誕地を訪ねてくれました。お母様がインターネットニュースで、秋山好古が名古屋の付属小に勤めていたことをお知りになったということです。

 大阪師範学校を18才で卒業した秋山好古は、明治9年に名古屋の愛知師範学校付属小学校に3等訓導として採用になり、陸軍士官学校に入学するまでの7ヵ月間、実際に教鞭をとりました。西洋式教育を受けた師範学校出の先生は金の卵と言われた時代で、月給30円の高給取りでした。明治25年に東京大学を中退して新聞日本に就職した正岡子規の給料15円と比較すると、その高給ぶりがわかります。

 教員を目指して17才で故郷松山を出た好古は、3等訓導となり名古屋の小学生と対し張りきって仕事をしていたと思われますが、やがて教頭の和久正辰(松山藩出身の先輩)の勧めもあり、好古はより自分を生かす道を志し軍人への転身を決意することになります。

  長岡さんご一家はこの後、松山城、坂の上の雲ミュージアムを目指して出発されました。成長した沙織さん駿太郎くん姉弟の再訪を楽しみにしています。