秋山兄弟生誕地

9月29日(火) 東雲小学校 生活科の「町探検」に

松山市立東雲小学校の 2 年生が、「生活科」の授業の一環で「町探検」にやってきました。事前に校長先生から頂いた依頼状では、同校の「町探検」は、「東雲の町のいろいろな施設や町の人々の様子を実際に訪問したり、お話を聞いたりして調べます」とのことでした。

 兄弟生誕地のある歩行町(かちまち)は、松山城の東の麓、同校の通学区。2年生 58 人の内 14 人がここを選んで来ました。門を入って兄弟の銅像の間に整列し、代表の児童がしっかり挨拶してくれました。「生活科」の始まりです。 お迎えした当方「町の施設の人」は、「秋山兄弟生誕地」(人物博物館)を守り運営する公益財団法人・常盤同郷会の、常勤の代表理事。挨拶で、今から90年ほど前、この家に入ってきた同校児童 5 、 6 人が、当時中学校長を務めていた 70 歳前後の秋山好古さんに、庭のイチジクを食べらしてもらった縁(ゆかり)が語られました。

その遥か後輩の子供たち14人は、それぞれに生家を見ながら土間を抜け、北庭に回った折、男子の一人が、「この建物は何年くらいたっているのですか」と聞いてきました。そこで、みんな縁側に座ってもらって、お話しました。(上の写真)                                    
  現在の建物は復元で、元の家は、今の地に江戸時代末に建てられてから 100 年を経て、第 2 次世界大戦末の松山空襲で、市内 1 万軒以上と共に焼失。その後 60 年目に復元され、以来16年たっています。

 すると他の児童からも、質問の手が上がり、「なぜ今ものこっているのですか?」と。 
                         ( ― 兄弟の心を伝えようと、戦前修理し、戦後復元に協力した人々の事)
又次は別の児童から、「今までで一番うれしかったことは何ですか?」                  ( ― 来客のお話)
いつもはどんな仕事をしているのですか?            ( ― 朝のお掃除、案内・展示ほか、家を守るための事) 他にも次々と手が上がりました。  ― 何人で働いていますか?   秋山兄弟は何歳まで生きた人ですか?
秋山兄弟の誕生日はいつですか?    などなど。

 最後の質問には、おそらく縁側の後ろの部屋(上の写真)で3月20日に弟眞之が生まれた時、兄好古がちょうど男子児童と同じ年頃だったと、その時の家族のエピソードを伝えました。しかし、後で思えば、彼らにそのせりふを振っていれば、きっと誰かが「…赤ん坊を、お寺へやっちゃいやぞな!」と、言ってくれたことでしょう。

最後に整列して、小学 2 年生の代表が感想を言ってくれました。…「ここが守られてきてよかったと思います」と。

  後日、引率の先生が、赤い画用紙に「秋山兄弟生たん地のかたへ…」と、各児童が書いた感想カードや写真をアレンジした礼状まで届けに来てくださいました。

  思えば、 10 時 15 分にやってきてから 45 分間、ちょうど予定の授業時間程の間、なんと積極的な小学生の、秋山兄弟生家訪問(まさに訪ね問う)だったことでしょう!

  あらためて、国により平成元年に新設された「生活科」の意義や、東雲小学校の先生方の狙い通りの周到な準備と、児童たちの意欲が偲ばれ、その事に、地域の側から御協力できたことを光栄に感じました。常盤同郷会一同にとってもここを守っていく励みとなりました。